薩摩焼の買取致します。本日の買取は薩摩焼薩陶山色絵花図花生でした
本日の買取は薩摩焼薩陶山色絵花図花生でした
高さが50センチほどあり大変大きな薩摩焼の花生でした。昭和時代の作品で確りと描かれていますね。
薩摩焼薩の買取なら千代屋まで
千代屋では薩摩焼の買取に力を入れていますので、ご自宅に眠っている古い薩摩焼がございましたらお気軽にお問い合わせくださいませ。
今回のような花生(花瓶)だけでは無く徳利や盃、香炉、急須、茶碗などの薩摩焼の茶器などなんでも出張買取、宅配買取させて頂きます。
お電話1本頂ければ、親切丁寧がモットーの千代屋がご対応させて頂きます♪
毎日出張買取に回っておりますのでお気軽にお問い合わせくださいませ。
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薩摩焼の買取色々
薩摩焼はギフト品や贈答品といったような普段使いのものから江戸時代の薩摩焼のような美術品、また現代作家の作品まで買い取りさせて頂いております。
商品によっては「まさかこんな値段になるとは思わなかった」といったようなお声も頂くことがございます。
それほど日用雑貨としての薩摩焼と美術品級の薩摩焼との違いというのは普段あまり見ることの無い一般のお客様には解りづらい物かもしれません。
比較的安価な薩摩焼も大変華やか絵が描かれることが多く、そういう薩摩焼はまた普段から目に触れることがあるため、高価な品とは思わずにいらっしゃるのではないでしょうか?
薩摩焼(さつまやき)
鹿児島県内で焼かれる陶磁器で、その歴史は文禄・慶長の役(やきもの戦争)(1529~1598)」の際、
朝鮮へ出兵した薩摩藩17代藩主島津義弘が多くの朝鮮人陶工を連れ帰ったことに始まります。
系統では苗代川系と竪野系と龍門司系、西餅田系、磁器系の平佐焼の5系統に分けられます。
現在も残るのは苗代川系、龍門司系、竪野系の3窯場です
苗代川(なえしろがわ)系薩摩
慶長4年(1599)に朴平意が串木野窯を開き、その後、苗代川(現・日置市東市来町美山)に移住します。
最初の頃は黒薩摩(黒もん)や朝鮮から持ってきた白土を使用し火計手(ひばかりで)の茶碗などを焼いていましたが、
後に白陶土が発見され、1782年に白薩摩(白もん)の細工物が作られ始め、1844年には錦手、金襴手が作られました。
千代屋では白薩摩の香炉や茶碗、花瓶などの出張買取に力を入れていますのでご自宅に眠っている薩摩焼やその他の焼き物などが
ございましたらお気軽にお電話1本下さいませ。
竪野(たての)系薩摩
慶長6年(1601)、陶工・金海(星山仲次)が姶良郡姶良町の宇都(うと)に藩窯として開いたのが始まりとされ、
火計手など白薩摩の元になるものが作られ、主に献上品・贈答用などの茶碗、茶入れなど、古帖佐と呼ばれる茶陶を主に作成しました。
竪野系の初期のものは古薩摩といわれ、薩摩焼の中心の作品でした。
黒門の窯は明治維新で途絶え、明治32年(1899)、有山長太郎が長太郎窯として再興しました。
龍門司(りゅうもんじ)系薩摩
慶長13年(1608)頃、陶工・芳仲(ほうちゅう)が開窯。
黒もんを作成し、黒釉、鉄砂釉、青釉、三彩釉、鮫肌釉を使用し茶家(ちょか)や
カラカラと呼ばれる酒器や綺麗に整った形の素晴らしい茶道具や日用品が焼かれました
現代の薩摩焼の主な窯場は姶良市の龍門司窯、日置市の苗代川窯、鹿児島市の長太郎窯などがあり。
「白もんと黒もんに主に分けられ、白門は派手やかな色絵錦での作品、黒門は一般向けの陶器である。
2002年1月に国の伝統的工芸品に指定されている。
白薩摩(白もん)
日置市の旧東市来町の美山にある苗代川窯で焼かれていた陶器。
白陶土で丹精に成形し透明釉を掛けたもので、表面の細かい貫入(細かいひび)が特徴の一つです。
御用窯で、金、赤、緑、紫、黄などで絵付がされた色絵錦手が中心である。
元々は苗代川焼と呼ばれていた
薩摩藩は職人に京都で技術などを学ばせ、パリ万博に出展し欧州で人気となった。
黒薩摩(黒もん)
黒薩摩は「黒もん」と呼ばれ、白もんと違いに一般庶民が使用する雑器として作られました。鹿児島の土は
シラス土壌で鉄分を多く、黒い陶器になります。
鉄分が多く、割れにくい丈夫な陶器となります。黒釉、褐釉、蕎麦釉などを掛け、3系統の窯場で黒茶家やカラカラなどが作られました。
横浜薩摩
薩摩から素地を持ってきて、横浜で絵付したものを「横浜薩摩」という。
京薩摩
京焼とは呼ばずに、輸出を目的として薩摩焼をまねて作られたの京焼を「京薩摩」という。